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情報化社会に生きる今こそ,自分で自分を「洗脳」する

最近僕の中である程度結論の出た問題について,書いておきたいと思います.

まず,言いたいことの要旨は,

『人間の思考は過去の思考の記憶によって形作られ,

そして私達はその思考の源である情報をコントロールする必要がある』

ということです.タイトルとは少々違う印象を持たれるかもしれませんが,まとめるとそういうことです.

導入

人間は学習する生き物です.それは生まれたときから死ぬ時まで変わるものではありません.脳に入った種々の信号は,感覚というシグナルに変換されて認知されます.その感覚はそれまでの記憶との関連を持つことが多く,その時点での感情,考えを同時に現在の意識に浮かび上がらせます.このとき,その刺激→感覚→感情のルートはニューロンの結びつきが変化することによって,より(物理的に)つながりやすくなります.つまり,似たような刺激に対して,また同じような反応を引き起こしやすくなるということです.このようにして人は見ること,聞くこと,触ることによって様々な感情を起こし,考えるわけです.同じものを見た時に人によって感じ方が変わるのはなぜかというのは,この話から説明することが出来ます.思考はそれまでの刺激→思考のルートによって決まるものですから,同じものを見ても,経験したことが違っていれば,違う反応を起こすのは当たり前のことなのです.

では,逆に人の共感を得る情報とは何でしょうか.それは,人が誰しも経験しているであろう前提経験に基づいた情報です.一般的に家族愛や恋愛,死などをテーマにした情報は,人の心に大きなインパクトを与えます.これはこういったテーマは誰しもが直接,あるいは間接にも経験することが多いものだからです.一方で学術的な情報やニッチな分野の情報は,それがいかに有用で人間の利益になるものであったしても,普通の人にとっては感情を動かされるものではありません.研究者は発見の喜びや,一方で先を越された悔しさなどいろいろ感じるでしょうが,それはそれまでにそのテーマを頭に残したまま生活してきた記憶があるからです.

さて,ここで,タイトルに戻りたいと思います.「情報化社会に生きる今こそ」これはいいとします.「自分で自分を洗脳する」,これはなかなか受け入れられる文言ではないでしょう.

まず,「洗脳」の言葉の意味をはっきりさせておきましょう.これは基本的に悪い意味で使われることが多いですが,ここではその字の通りの意味,つまり,脳を洗う,すなわちアタマの中を綺麗にする,という意味で使います.まだこれでも定義したことにはなりませんが,ひとまずこのままに置いておくことにします.先ほども述べたように,人間は脳の相互作用によって感情(のようなもの)を誘起し,それに影響されながらも思考し,行動する生き物です.人間の人間らしさは,この「感覚,感情」と「思考」の間,「思考」と「行動」の間に,メタ認知が介在することです.もう一人の自分が常に脳的自分を見張っているのです.これによって人は,より”理性的”に行動することができるようになるわけです.さて,この自我ともいうべきメタ認知の存在は,一般に「自分」というものでしょうか.感情などはこの自我によって認識され,初めて自分のものとなるからです.逆に他の人の痛みを感じることができるのもこの自我の働きによるといっていいでしょう.目の前の光景や活字による情報を基に,自分の中の情報を組み合わせて擬似的に感覚を生み出し,感情を誘起するのです.人は割と簡単に自分の心をコントロールすることが出来ます.悲しい気持ちに落ち込むには悲しい出来事を何度も繰り返し思い出せばいいし,楽しく,明るい気持ちになろうと思えば,成功するイメージや,実際に成功したときの体の状態を再現すれば良いのです.たとえばガッツポーズをしてみるとか,にっこり笑うだけで気分が明るくなってくるのはこのことによります.

「自分を洗脳する」

さて,洗脳する,ということですが,つまりこの刺激,感覚,感情,思考,行動の間(もしくは上位)に介在する自我を,見つめなおそう,というのがメッセージであると言ってもいいでしょう.人間が人間らしくいられるのはこのメタ的自我によるものであり,ここがしっかり形成されることが,人間として「よい」一生を終えるために必要なことです.しかし,肝心なこととして,この自我も,「記憶」,つまりニューロンのつながりによって形成されているということです.同じような判断基準で物事を考えていれば,同じような思考のパターンになるということです.一般的に宗教組織に対して使われるような「洗脳」という言葉は,こちらを意味しますね.洗脳の一般的手法として,まずそれまでの既成概念を崩すようなショッキングな情報を与えます.これは感情的に最も人に訴えかけるものが用いられることが多いです(楽園,愛する人の復活,悪者はいなくなる,影の努力を神は見ておられる,地獄,等々).人は判断基準がなくなると不安定になります(ニューロンのパターンが切られて思考がよりカオス的になる).そこで新しい価値基準を与えるわけです.僕は宗教で教えること全てが悪いとはもちろん言いませんし,むしろもっと人々はその教えを学び,活かすべきだと思います.ここで問題にしているのは,その思考パターンまで教え込まれてしまうことです.ユダヤ教キリスト教イスラム教など一神教の宗教や,現人神である教祖を信仰するような(いわゆる)カルト的宗教では,この部分を徹底して教えます.感情的に良い経験をさせたり,伝統を重んじる風土の中においては荘厳な雰囲気を体験させたりして,感情と密接にかかわり,受け入れられやすい方法で,思考のパターンを教えるのです.その中には,他の思考パターンを寄せ付けない排他的な思考の種も含まれています.それは異教徒に対する扱いや,信仰を否定することからくる不利益という形で常に教えられます.こうして教えられたがためにそれ以外の思考パターンを学ぶことは極端に減るでしょう.僕はその事自体が人間全体にとって不利益なのではないかと思います.

以上に述べた例は,だいぶ極端な例ではありますが,そこから見えてくるものはあります.「自分は何によって思考パターンを形作られたか」と自問する必要性です.「私は宗教は信じていない」という人も,親の考え方,学校の教師の考え方,もしくは世の中の多くの人の考え方に影響されていないということはないでしょう.よく一緒に時間を過ごす友達はあなたに似ていませんか?それはあなたが友達に影響されているあらでもあり,友達があなたに影響されているからでもあります.そして先程も言ったように,影響される事それ自体には何も問題はないのです.人に影響されないことはありえず,むしろ人に影響をうけて成長していくものですから.大事なのは,自分は何者かの影響を常に受けているということに気づくことです.それは先人の教えとして社会に深く浸透した考えかもしれないし,親のしつけかもしれないし,あるとき読んだ本の一節,友達の一言かもしれません.どちらにしろ,「自分自身で考えだした」と呼べるものは存在しないのです.人はそれぞれの自分の独自の経験を積み重ね,他人の経験を共有し,その中で形成された思考パターンによって意味づけを行い,それを他人に示すわけです.こうして時代が進むごとに様々な考えが生まれ(それは無から有のような生まれ方ではなく,まさしく親から子が生まれるように遺伝しながら),現在まで脈々とその流れが続いているわけです.

情報化社会に生きる今こそ」

ここで,「情報化社会に生きる今こそ」の部分を考えます.

情報化社会の問題としてあげたいのは,この時代は,リアルタイムで,そして多くの人が共感した情報がが受動的に摂取されやすい時代だ,ということです.本当に受動的でしょうか?以下に僕の感じた印象から述べますが,たしかに受動的だと言えます.世間で話題になっていない問題に関して,自分で検索して複数の情報を集め,そこから自分の考えをまとめたことがあるでしょうか?時間と強い意志がなければ,なかなかできることではありません.基本的にはニュースアプリやfeedlyGunosyなどのRSS配信のアプリケーションを用いて情報を収集する人が多いのではないでしょうか.そしてこの情報の収集の仕方そのものが,問題をはらんでいるのです.いつも同じニュースサイトの記事を読んではいないでしょうか?トラックバックの多い記事,「注目の記事」ばかり読んではいないでしょうか?自分で取り入れる情報源をカスタマイズできる,とはものは言いようで,興味のない情報を入れないという選択肢が与えられたことになります.これは自分自身で異教徒の書いた文書を読まないようにすることができる,ということと同じです.問題はお分かりでしょうか.人は情報と自らの経験によって成長する生き物であるにも関わらず,現在の思考パターンで選ばれた,偏った種類の情報でのみ形作られていくということです.(僕も人のこと言えないんですが.)これではより偏った思考に移行してしまう確率が高まります.だからといって,普通の人はそんなたくさんの記事を読み込む暇はありません.情報化社会では,多くの情報にアクセスできるようになった反面,興味のある話題しか取り入れられずしかもその量が膨大であるため,偏食に陥る危険性があるのです.健康的な食事の基本は何でしょうか?それは栄養の種類をバランスよく,適度な量食べる,ということです.これは情報に当てはめることもできるでしょう.なぜなら,人間の体が食べたものから作られるのと同じように,人間の思考は,取り入れた情報から作られるからです.適度な量,というのも,消化器官にキャパシティがあってそれ以上食べられないという限度があり,満腹感を感じるように,脳にもこれ以上は処理できないという限界があって,それは飽きのような感情としてフィードバックされます.本題からは外れますが,もしたくさん食べたいのなら,消化を活性化させ,代謝をあげるのがよいでしょう.脳の消化を活性化するのは思考を言葉にすることです.悩みがあるときに人に話してスッキリした経験がある人は多いでしょうし,散歩中に思考が整理される経験もあるはずです.脳に血を送ってよりたくさん処理できるようにすれば,たくさんの情報が処理できるでしょう.

「情報化社会に生きる今こそ,自分で自分を洗脳する」

今回特に伝えたいポイントは,この「自分で」という部分です.人は過去の思考の記憶によって現在形作られているというのは,ある程度納得いただけたかと思いますが,ここからは僕個人の提案なので,自分の思考,信条とあわない方は,無理をする必要はないと思います.痛みが伴うことであるのは間違いないので.

自分で自分を洗脳する,ということは,自分が何に影響されているかを見定め,自分の考えの材料となる情報を取捨選択して生きていることを認め,そして自分の思考パターン以外の思考に注意を傾けることです.それは理解不能なものかもしれませんが,何がその思考を形作っているかまで知ることが出来たのなら,情報と思考の対応付けを,客観的に理解できるようになるでしょう.また,自分で自分の思考パターンを選ぶということは,そこから生まれる自分の考え方,生き方に,自分自身が責任を持つ,ということでもあります.

様々な情報が飛び交い,心良い情報だけでお腹いっぱいになってしまう現代ですが,自分の行動に責任を持つためにも,時には進んで苦手な食べ物を食べることをおすすめします.そして自分自身の脳をフレッシュに保つのです.これまでの考えを変えるときには,必ず今の段階で納得できる論理をもって自分自身を説得すること,これを忘れなければ,一般に危険だとされる考えには染まらないと思います.

終わりに

人は(現在の)一般社会のために貢献する生き方をしなければならない,というのは一つ人生の目的のわかりやすい例ですが,それを強制することは出来ないでしょうし,僕自身それを100%「正しい」とは思いません.広く人類がこれからも幸せな感情をもって生き続けることができるように努力すること,そして自分もその一員として幸せを感じながら生きることが,僕自身の人生の大きな目的です.昔は「死ぬときに後悔しない」とか,「自分の先祖と子孫に誇れる」なんて言葉で表していましたが,より抽象的になった感じがありますね.これからは,様々な場面で周りに流されないことが必要かもしれませんし,あるいはそのことを主張するにしても,より説得力が求められるでしょう.自分の生き方に責任を持つためにも,様々な情報をできるだけ味わい,たくさんの種類食べること,好き嫌いしないこと,これからも気をつけていきたいと思いますね.

長文,駄文失礼いたしました.

どう感じたとしても,これはなんら他人の考えを強制するものではありません.

そして僕がこの考えに至るにあたり,強く影響をうけた本を紹介:

ミーム―心を操るウイルスミーム―心を操るウイルス
(1998/01)
リチャード ブロディ

商品詳細を見る

追記(2014/09/07)

いくつかおなじようなことを述べたサイトをあげます

自分を変えるとは、自分の思考パターンを変えること。

なりたい私を加速的に叶える!イライラ・モヤモヤを「自分を越える力」に変える前進力☆:

「思考のクセ」に気づけば、新しい思考パターンが身についていく

竹内義晴の、しごとのみらい:ITmedia オルタナティブ・ブログ:

思考パターン・行動パターンを変えるには

イカナル.com:

(2014/09/09)

情報化社会に必要な心構え

まん中に里山: